ホスピタリティとコミュニケーション
サービス精神と同様に、最近耳にするようになったホスピタリティ精神という言葉。この“ホスピタリティ”という言葉は一見サービスと似ているが、実は全く違う性質を持ったものである。
では“ホスピタリティ”というのは一体どういうものなのであろうか。それを私の経験を交えて書いていきたい。
“お互いのためにお互いが思いやること”私はこれがホスピタリティの基盤になっていると考えている。例えば商売に於いて、売り手は利益を上げるために良い商品を売ろうと努力し、買い手はその商品に見合った代金を支払う。これはごく普通のことだが、もし売り手と買い手のどちらか一方でも相手を思いやる気持ちが無ければどうであろうか。
売り手に相手を思いやる気持ちが無ければ、例え粗悪な商品があろうとも、値段が法外な金額であろうとも改善しないかもしれない。
逆に、買い手に思いやる気持ちが無ければ、代金なんて支払わずにそのまま商品を持ち去ってしまうかもしれない。この様に、きちんと商売が成立するためにはお互いの思いやりが必要不可欠なのである。
これは何も商売だけの話ではない。政治にも学校の授業にでさえも言えることである。要するに、現代社会がきちんと成立するためにはこのホスピタリティ精神が必要不可欠なのである。
では、似た言葉として挙げられる“サービス”というのはどうであろうか。サービスというのは、相手に対して尽くせる限り尽くすという意味である。
例えば、スーパーマーケット等でよく目にする「10点以上お買い求めのお客様にはもう1点をサービス!!」というような言葉。さて、この文字通りのサービスで、得をするのは店側か客側のどちらであろうか。
答えは火を見るより明らかで、もちろん客側である。長期的な目で見れば店側にも利益があると言えなくも無いが、一時的な目で見た場合、客は無料で1点の商品を貰えるということから、店側は客側に一方的にサービスを与えていると言える。
ホスピタリティとサービスとの違いを端的に言えば、ホスピタリティはお互いを思いやる気持ち、サービスは相手に対し最善を尽くすということだと言える。
この様に、サービスとホスピタリティは似て非なるものなのである。しかしどちらが欠けていてもいけない。しかし、現代の日本に於いて、サービス精神は溢れているが、ホスピタリティ精神について言えば、極めて少ないのが現状であると言えよう。
次に、私が中国で経験した、日本と中国に於けるホスピタリティ精神の決定的な違いについて書きたいと思う。この経験は私の考えを180度変えさせたと言っても過言ではない。
私が中国で生活していたある日、一人でファーストフード店に入った。その頃の私はまだ中国語に自信があったわけではないので、カウンターに行き、指を指しながら中国語で「これとこれとこれが欲しいです。」と言った。
しかし店員は一向に注文を通そうとせずに、ずっとこちらをうかがっている。十中八九私の中国語が足りなかったのだが、いずれにせよこれでは何も買えないので、途方に暮れていたところ、隣の列に並んでいた客が注文していたので、ちらっと横目で見たところ、客の方が「飲み物はこれで、このサイズで・・・。」という様に、あれこれ詳しく話して注文していたのである。
私はすぐさまこの要領で一品ずつメニュー表を見ながら注文したところ、見事に注文が通ったのである。
台湾でタピオカミルクティーを購入する際もそうであった。我々の感覚では、店でジュースを買う際、味とS/M/Lのどのサイズを選ぶかだけで購入できると思いがちである。しかし、台湾では違った。
当時の私はこれもまた日本の感覚で、味とサイズを伝えただけで、私は黙っていた。しかし、店員は私に「それで?」と言い放ったのである。ある程度中国語に自信がついたその時でさえも、聞きなれない言葉と、「それで?」という対応にびっくりしたのもよく覚えている。
実は、味、サイズはもちろん、氷はどれくらいの量かとか、甘さはどれくらいかとか、詳しく作り方をこちらで提示しなければなかなか取り掛かってもらえないのであった。(その時は台湾のお友達に助けて貰えましたが。)なるほど、こういう風習もあるのかと身を以って知った。
日本の店では特に何かを喋らなくとも、必要最低限のことだけを店員に告げれば物が手に入る。極端に言えば「はい。いいえ、これ」の三つで事が足りるくらいである。
それに、必要な事項は店員が逐一こちらに確認しながら注文をとってくれるので、店員と会話すということを特に必要としない。日本文化特有の無口の名残と、「お客様は神様」という店側の方針があってこのようになったのであろう。
だがそれはやはり日本特有の文化であって、その感覚を持ったまま外国で買い物をすると、今回の私の様なことになりかねない。特に私達日本人は、日頃から日本で質の高いサービスを受けてきているせいで、ホスピタリティとサービスを混同しがちである。日本のサービスに舌が肥えてしまったと言い換えてもよい。
この中国での貴重な体験のおかげで、私は外国には外国のやり方があり、またホスピタリティとサービスは全く違うものなのであるということを学んだ。郷に入れば郷に従えと言うように、私達は外国に言った際に、「ここは日本ではないのだ」ということを決して忘れてはいけないのである。それが現地の人達とうまく付き合う最良の方法であろう。
ご意見・ご感想お待ちしております。
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ホスピタリティの語源の基は「ホスピス」があり、ヨーロッパの十字軍の戦争最中に兵士を休ませ、治療をした場所が基になっているとの事。
それが変形してホスピタルやホテルに語源が分散され、治療と心の治療に分かれました。
特に心の治療のホテルはホスピタリティ「奉仕の心」になり、そこにサービスの文化と繋がり、現代のホテルやサービス業界のホスピタリティとして一本化されました。
日本に至っては旅館のもてなす文化にホテルがくっつき、奉仕の心が加わった世界最新のサービスになり、その文化が外食産業に加わり、ファーストフードなどのお店でもホスピタリティの文化が浸透しましたとさヾ(^▽^)ノ
日本人のサービスは注目され続けて、そのサービスは世界に羽ばたき中だそうな(*´д`*)
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日本特有の文化だと知るには
やはり他国を知らなければ分からないよね?
私も初めて知ったよw(笑)
日本はこの「サービス」というものが
もう、定着してるから今や普通だよね。
そうだな・・・限られた言葉・・・
ま、これにプラス「愛想」をつけるぐらいだろうね(笑)
でも、他国も一緒と捉えてはダメだね(`・ω・´)ノ
やはりそこの文化・習慣に従わないといけないと思う。
国が違えば文化も違う(・ω・)/だね?。
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>たくさん
なるほど、つまり日本ではサービスとホスピタリティがくっついて新サービスが作られたというわけですね★
確かに日本の旅館のおもてなしの心は素晴らしいですよね?
出迎えてから見送るまで、徹底されてますから!
ただ、そのサービスを受ける方も、ホスピタリティをわきまえることが大切なんですよ^0^
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確かに、愛想が無ければ伝わりませんからね?^?^;
それに、そのサービスがすっかり定着してしまったので、今度は迎えられる側(客人)の立場が上に上にと上がってきたんですよ。
これはよくないですね?いくら“お客様は神様”という言葉があろうとも、それは迎えるが奴隷ということを言っているのではありませんからね。
時には毅然とした態度でお客様に臨むことが必要な時が来るでしょう。
やっぱり海外に行かないと日本のことなんてわかりませんね!
僕も海外に行って、初めて日本の良さと悪さを体感しましたから^?^
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おっしゃるとおりですね。ビジネスでいえば、共存共栄でしょうけれども、長期的にみた場合、共存共栄の方が得られる利潤は大きいでしょうから、合理的な企業ならホスピタリティを理念や行動の基準におくと思います。そのあらわれが、サービスということですが、これは国民性や民族性で考え方も違ってきますね。もっとも、思いやりの心は人としてあたりまえのことだろうと思います。
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>sentemさん
まさに利益ばかり追い求めてもいけないということですね。
>そのあらわれが、サービスということですが、これは国民性や民族性で考え方も違ってきますね。
そうですね。特にベトナムと比較すれば、その違いは顕著に表れています。ベトナムは社会主義なので、全体とは言いませんが、一部の店では、「働かなくても衣食住は保証されている」というような空気があります。
その結果、日本から見れば考えられないような出来事にも度々出くわすことがあるでしょう。しかし、出くわしたからと言って、そこで怒りを顕わにするのはお門違いですよね。そこは「お国が違うのだ」ということを念頭に置かないといけないのです。
>もっとも、思いやりの心は人としてあたりまえのことだろうと思います。
その“あたりまえのこと”がなかなかどうして難しいものなんですよね。僕が知る限りでは、韓国では「ホスピタリティ」を徹底しています。韓国に行ってそう感じました。
どうやら、日本では「思いやりの心」を持つことに何か抵抗があるように思えます。何をするにも人目を気にしがちな日本人ですから、「あたりまえのこと」がなかなか出来ない。私も含め、そんな人が多いとは思いますが、その根底にある意識が変われば「ホスピタリティ」なんて誰にでも出来るものだと思います。